韓国随一の観光地・済州島。70年前の4月3日、この島で南朝鮮労働党(南労党)の一団350人が、米軍政(韓国人警察、右翼含む)の強い弾圧や南側単独選挙に反対し武装蜂起した。これに対し当時の米軍政、後に韓国政府が強硬に対応する過程で、「反共」理念をかさに着た無差別虐殺へと発展。7年以上にわたる間、島民の10分の1にあたる約3万人が亡くなる痛ましい出来事が起きた。

一連の課程を全て含め「済州4.3事件」と呼ばれるこの出来事から70年が経つ今日、韓国の文在寅大統領は済州島を訪れ犠牲者に謝罪を行うと共に、「4.3の完全な解決こそが済州島民と国民の皆が望む和解と統合、平和と人権の確固とした土台になる」と演説し、「済州に春が来ている」と宣言した。

演説全文を翻訳する。翻訳は本紙・徐台教。

2018年4月3日、済州島を訪れ「済州4.3事件」の犠牲者に献花する文在寅大統領。写真は青瓦台提供。
2018年4月3日、済州島を訪れ「済州4.3事件」の犠牲者に献花する文在寅大統領。写真は青瓦台提供。

4.3犠牲者追念日 追念辞

4.3生存犠牲者とご遺族の皆さん、
済州島民の皆さん、

石垣ひとつ、落ちた椿の花ひとつ、
痛哭の歳月を受け止めた済州で
「この地に春はあるのか?」と
皆さんは70年間、尋ね続けてきました。

私は今日、皆さんに
済州の春を知らせたく思います。

悲劇は長く、風が吹くだけで涙が出るほど
悲しみは深かったですが
菜の花のように満開に
済州の春は咲きほこるでしょう。

皆さんが4.3を忘れずに
皆さんと共に、痛みを分かち合った方たちがいたからこそ、
今日、私たちは沈黙の歳月を乗り越え
このように集まることができました。

渾身の力を振り絞り、4.3の痛恨と苦痛、真実を知らせてきた
生存犠牲者とご遺族、済州島民の方たちに
大統領として深い慰労と感謝の言葉を捧げます。

尊敬する済州島民の皆さん、国民の皆さん、

70年前、ここ済州で
無辜の良民たちが理念の名前で犠牲になりました。
理念というものを知らなくとも
泥棒がいない、乞食がいない、門も無く共に幸せだった
罪のない良民たちが
訳も分からないまま虐殺に遭いました。

1948年11月17日、済州島に戒厳令が宣布され、
中山間(山のふもと)の村を中心に「焦土化作戦」が展開されました。
家族のうち、一人でもいなければ
「逃避者家族」という理由で殺されました。
中山間の村の95%以上が焼けて無くなり
村の住民全体が虐殺された所もあります。

1947年から54年まで
当時、済州の人口の10分の1、3万人が亡くなったと推定されます。

理念が分けた生と死の境界線は
虐殺の場だけにあったのではありません。
一度に家族を亡くしても
「暴徒の家族」という言葉を聞きたくないがために
息を殺して生きなければなりませんでした。

苦痛は連座制として次世代に受け継がれもしました。
軍人になり、公務員になり、国のために働こうとする
子どもたちの熱望を
済州の父母たちは自らの手で折らなければなりませんでした。

4.3は済州のあらゆる場所に染み込んでいる苦痛ですが、
済州は生き残るために記憶を消さなければならない島になりました。

しかし、言葉にできない歳月のあいだ
済州島民たちの心の中から真実は消え去りませんでした。
4.3を歴史の場に正しく打ち立てるための涙ぐましい努力も
途絶えることはありませんでした。

1960年4月27日、観徳亭の広場で、
「忘れろ、じっとしていろ」と強要する不義の権力に立ち向かい
済州の青年学生たちが立ち上がりました。
済州の中学高校生1500人が
3.15不正選挙の糾弾とともに、4.3の現実を叫びました。

その年、4月の春はいくらも経たずに
5.16軍部の勢力に捻じ曲げられましたが
真実を知らせようとする勇気は消え去りませんでした。

数多くの4.3団体たちが
記憶の外にあった4,3を絶え間なく呼び起こしました。

済州4.3研究所、済州4.3道民連帯、済州民芸総など
多くの団体が4.3を抱き続けました。

4.3を記憶することが禁忌であり
語ること自体が不穏に見られた時節、
4.3の苦痛を作品に刻み込み
忘却から私たちを呼び覚ました方たちもいました。

維新独裁の頂点であった1978年に発表した、
小説家、玄基栄(ヒョン・ギヨン)の「順伊おばさん」
金石範(キム・ソクボム)作家の「鴉の死」と「火山島」、
イ・サナ詩人の長編叙事詩、「ハルラ山」
3年間、50編の「4.3連作」を完成させた
カン・ヨベ画伯の「椿の花が散った」
4.3を扱ったはじめてのドキュメンタリ−映画
チョ・ソンボン監督の「レッドハント」
オ・ミョル監督の映画「チスル」
イム・フンスン監督の「悲念」とキム・ドンマン監督の「タランシ窟の悲しい歌」
故キム・ギョンユル監督の「終わらない歳月」
歌手アン・チファンの歌「眠らない南道」

時には逮捕と投獄につながった芸術家たちの努力は
4.3がただ過去の不幸な事件ではなく
今を生きる私たちの話であることを
知らせてくれました。

ついに私たちは4.3の真実と記憶を、明らかにすることが
民主主義と平和、人権の道を開く課程であることを
知りました。

済州島民と共に長いあいだ4.3の痛みを
記憶し知らせてくれた方たちがいたからこそ、4.3は起き上がりました。
国家の暴力が起こしたあらゆる苦痛と努力に対し
大統領として、もう一度深く謝罪し、
また、深く感謝いたします。

4.3生存犠牲者と遺家族の皆さん、
国民の皆さん、

民主主義の勝利が真実に進む道を開きました。

2000年、金大中政府は4.3真相究明特別法を制定し、
4.3委員会を作りました。
盧武鉉大統領は大統領としてはじめて
4.3に対する国家の責任を認め、
慰霊祭に参席し、犠牲者と遺族、済州島民に謝罪しました。

私は今日、その土台の上に
4.3の完全な解決を目指し
揺らぎなく進むことを約束します。
これ以上4.3の真相究明と名誉回復が
中断したり、後退することは無いでしょう。

それと共に
4.3の真実はどんな勢力も否定することのできない
明らかな歴史の事実として、位置付けられたことを宣言します。

国家権力が加えた暴力の真実をきちんと明らかにし
犠牲となった方たちの怒りを解き
名著を回復するようにします。

このために遺骸の発掘事業も
悔いが残らないよう
最後まで続けて行きます。

遺族たちと生存犠牲者たちの
傷と痛みを治癒するための
政府としての措置に最善を尽くす反面、
賠償・補償と国家トラウマセンターの建設など
立法が必要な事項は
国会と積極的に協議いたします。

4.3の完全な解決こそが
済州島民と国民の皆が望む
和解と統合、平和と人権の確固とした土台になるでしょう。

済州島民の皆さん、国民の皆さん、

今、済州島はその全ての痛みを乗り越え
平和と生命の地として復活しています。

私たちは今日、4.3の英霊たちの前で
平和と相生は理念ではない、
ただ真実の上だけで正しく立つことできるという事実を
ふたたび確認しています。

左と右の激烈な対立が
残酷な歴史の悲劇を生みましたが
4.3犠牲者たちと済州島民たちは
理念が作り出した不信と憎悪を乗り越えました。

故オ・チャンギさんは、4.3当時、軍警により銃傷を受けましたが
朝鮮戦争が起きるや「海兵隊3期」に志願入隊し
仁川上陸作戦に参戦しました。
妻と父母、義母と義妹をすべて失った故キム・テセンさんは
愛国の血書をしたため軍隊に志願しました。

4.3で「アカ」とされた青年たちが
死を覚悟し祖国を守りました。

理念はただ、虐殺を正当化する名分に過ぎませんでした。
済州島民たちは和解と容赦で
理念が作り出した悲劇を勝ち抜きました。

済州のハギ里では
護国英霊碑と4.3犠牲者の慰霊碑を一箇所に集め
慰霊壇を作りあげました。
「皆が犠牲者であるから、皆を容赦するという気持ち」で碑を建てました。
2013年には最も葛藤が深かった4.3遺族会と済州警友会が
条件無しの和解を宣言しました。

済州島民が始めた和解の手は
これからは全ての国民のものにならなければなりません。

私は今日この場所で、国民の皆さんに呼びかけたいです。

未だに4.3の真実を無視する人々がいます。
未だに古い理念の屈折した目で
4.3を眺める人々がいます。
未だに韓国の古い理念が作り出した
憎悪と敵対の言葉が溢れています。

もう私たちは痛みの歴史を直視できなければなりません。
不幸な歴史を直視することは
国と国のあいだでだけ必要なことではありません。
私たち自らも4.3を直視できなければなりません。
古い理念の枠に考えを閉じ込めることから逃れなければなりません。

これからの韓国は
正義にかなった保守と、正義にかなった進歩が
「正義」で競争する国にならなければなりません。
公正な保守と公正な進歩が
「公正」で評価される時代でなければなりません。

正義にかなわず、公正で無いならば、保守であろうと進歩であろうと、
どんな旗でも国民のためになることはできないでしょう。

生活のあらゆる場から理念が投げかけた敵対の影を取り除き
人間の尊厳を咲かせられるように、皆が共に努力していきましょう。
それが今日、済州の山々が私たちに聞かせてくれるお話です。

4.3生存犠牲者とご遺族の皆さん、
国民の皆さん、

4.3の真相究明は地域を越え
不幸な過去を反省し、人類の普遍価値を取り戻すことです。
4.3の名誉回復は
和解と相生、平和と人権に向かう
私たちの未来です。

済州は深い傷跡の中でも
過去70年間、平和と人権の価値を叫んできました。
これからその価値は、朝鮮半島の平和と共存につながり、
人類全体に向かう平和のメッセージとして伝わることでしょう。

恒久的な平和と人権に向かう4.3の熱望は
決して眠ることはないでしょう。
それは大統領である私に与えられた
歴史的な責務でもあります。

今日の追念式が
4.3の英霊たちと犠牲者たちに慰安となり、
わが国民たちにとっては
新しい歴史の出発点になることを願います。

皆さん、
「済州に春が来ています」

ありがとうございます。

2018年4月3日
大韓民国大統領 文在寅

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