13日、統一部長官候補に趙明均(チョ・ミョンギュン、60歳)氏が決定した。同氏は先日就任した千海成(チョン・ヘソン)次官と同様に統一部のキャリア官僚出身。任命される場合、統一部のナンバー1,2が実務型となる。(ソウル=徐台教)

統一部の要職を歴任「南北経済協力の生き証人」

趙明均統一部長官
6月13日、統一部長官候補となった趙明均氏。写真はNAVERプロフィールより引用。

趙明均氏は1957年、京畿道議政府市出身。1979年、行政孝試(23期)に合格後、国税庁に任官。1984年に統一部の前身の国土統一院に移り、その後は統一部ひと筋の公務員生活を送った。

2000年には金大中(キム・デジュン)大統領と金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の南北首脳会談に関わり、02年7月から04年2月まで統一部の交流協力局局長を務めた。

さらにその後、軽水炉事業支援企画団政策調整部部長(04年2月~10月)、統一部開城工団事業支援団団長(04年10月~06年2月)を務めるなど、南北交流協力の実務に深く関わった。

こうした趙氏の経歴について聯合ニュースは、「2001年から交流協力局長を務め、3代経済協力事業とされる開城工団事業、鉄道・道路連結事業、金剛山観光事業を軌道に乗せた『南北経済協力の生き証人』」と評している。

06年2月から08年2月まで、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で青瓦台(大統領府)入り。大統領秘書室安保政策秘書官の要職に就き、07年10月の南北首脳会談の実現に大きく貢献し、首脳会談にも同席した。

だが、南北交流に深く関わった経歴のため、2008年2月に北朝鮮に対し強硬な態度を取る李明博政権が発足すると一転して「干され」、同年10月、統一部を退職した。

韓国紙によると、その後、敬虔なカトリック信者である同氏は熱心に宗教活動を行っていたとされる。

また、2012年の大統領選挙前に、07年の首脳会談の席で盧武鉉大統領が「NLL放棄」発言をしたとセヌリ党(当時、現自由韓国党)が告発した際、当時の会議録を故意に廃棄したとされ、告訴されている(実際に発言は無かった)。

1審、2審で無罪判決を受け、大法院(最高裁判所)の判決を待つ身だが、無罪判決が確定するというのが大方の見方だ。




「開城工団は必ず再開、南北首脳会談も」

統一部長官候補に指名された13日午後、趙氏はソウル市内の南北会談本部を訪れ、報道陣の前で所信を語った。

YTNによると趙氏は「開城工団だけは再開しなければならない。具体的な内容は綿密に把握し、今後、機会がある時にお話しするのがよい」と語り、南北経済協力再開への強い意気込みを見せた。さらに「南北関係の改善や朝鮮半島の問題解決に必要ならば南北首脳会談をも推進する」とも語り、南北関係の転換を示唆した。

趙氏はさっそく同所に事務所を構え、今後予定されている人事聴聞会の準備に着手した。統一部では職員が訪れ、事業の報告を行っている。

青瓦台は趙氏を選んだ理由について「南北会談および北朝鮮戦略に精通する官僚出身で、新政府の対北政策と南北問題の懸案に対する理解度が高く、政策企画から交流、交渉まで豊富な経験を持つ政策通」としている。

今回の人事により、文在寅政権の北朝鮮に対する「交流再開」という政策基調が一層明らかになった形だ。今後は当局間対話を含め、コンタクトを増やしていくものと見られる。

ただ、懸念もある。統一部に詳しい北朝鮮専門家は「趙氏は林東源(イム・ドンウォン)元統一部長官のお墨付きで、能力的には傑出している存在で申し分ない。千海成次官と共に、官僚出身で実務型の人事構成になる。それはそれでいいが、問題は政治力だ。政治家が統一部長官になる場合よりも弱く、統一部の声がどこまで国家政策として実現するかは未知数だ。青瓦台のバックアップが非常に重要になる」と分析した。




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